映画「怪物」映画館で観るべき?「怪物」ってだれ?速報レビュー

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東海エリアを中心に、台風による激しい風雨が吹き荒れた公開初日の昨日、本作を劇場にて鑑賞してきた。以下にて「怪物はいったい誰なのか?」という考察も含め率直に感想をまとめつつ劇場で鑑賞すべきかを考えたいと思う。

映画好きなら反応必至!豪華製作陣

まず本作、映画好きなら振り替えざるを得ない程の豪華布陣が一際目を引く。監督是枝裕和 x 脚本坂元裕二 x 音楽坂本龍一、と言わずと知れた超大御所トライアングルによる共作。とりわけ先日惜しまれながら長い闘病の末に天に召された坂本龍一さんの遺作ともなると、注目度はより一層高まったと言える作品なのではないだろうか。

あらすじ

簡単にあらすじに触れておきたい。以下eiga.comさんより抜粋。


大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。

eiga.com

役柄は以下となります。

沙織(シングルマザー役)・・・安藤サクラ
保利(教師役)・・・永山瑛太(瑛太)
湊・・・黒川想矢
依里・・・柊木陽太
伏見(校長)・・・田中裕子
広奈(保利の彼女)・・・高畑充希

感想・レビュー 〜怪物はいった誰だったの?〜

まずは良かった点を。主演の安藤サクラさん初め、瑛太さん、田中裕子さん、子役の黒川想矢(くろかわそうや) さんと 柊木陽太 (ひいらぎひなた)さん、みなさん素晴らしかったと思います。安藤さんはシングルマザーとして我が子第一で動いてしまうキャラクターを自然に演じていらっしゃいましたし、子役のお二人も幼少期のあどけなさがありつつ、様々な初めてに触れ、互いに触発され、変化していく様子を丁寧に演じられていた気がします。ただ個人的には、田中裕子さんと瑛太さんがやはり上手だな、と思いました。瑛太さんは、序盤でダメ教師ぶりを徹底する所で観客に不快感を与えつつ、後の展開で感情移入させる演技がしっくりきました。独特の飄々とした風貌と眼差しがやはり良いですね。また、田中裕子さんにも裏表のある表情がさすがでした。滲み出る柔和な笑顔からは超善人にも見えるし、一方で真逆の残忍性を孕んでいるという風にも見える、色んな表情を見せられる役者さんだなと改めて感じました。

さてこの映画がテーマとして描き、問う「怪物」とは一体誰なのでしょうか
自分なりの答えは、登場人物たちはいずれも誰かの「怪物」であり、だからこそ「怪物」は特定の誰かとは言えない、そんな印象を受けました。

具体的に見ていきます。
この作品は大きく三幕構成で構成されています。
第一幕:沙織(安藤サクラ)視点
第二幕:保利(瑛太)視点
第三幕:子供視点 ※途中一部校長視点も入ります。

第一幕では、沙織視点から見て、自分の子供が教師から体罰を受けたという抗議に対して、校長をはじめ学校側は杓子定規的な、全く誠意のない対応をします。このパートではまさに、彼女からすると「怪物」とは「学校・教師たち」「保利」であったのかなと思われます。

転じて、第二幕では、保利にとっての「怪物」が描かれます。ここでは、実際のところ彼は本当は生徒思いで面倒見のよい姿が描かれ、生徒たちの(悪意があるのかないのか判別するのが難しいですが)言動によって、自分がいつの間にか辞職に追い込まれ、さらには彼女にも振られてしまうという一連の顛末を観客は知ります。ここでの「怪物」は紛れもなく「子供たち」であり、「学校を守るため」に抗議に対する責任を保利に押し付ける「校長」も「怪物」であったと言えるでしょう。

そして最後の第三幕は子供達の視点から「怪物」が描かれます。このパートでは象徴的だと感じたシーンがいくつかありました。1つは湊と依里が遊ぶ「怪物当てゲーム」。お互いのおでこに何かしらの動物を描いたカードを当て、それぞれに質問を繰り返し回答によって描かれた動物を当てる、というゲームです。このシーンからは、「怪物」とは自身では自覚できないものであり、他者の存在や言動によって「怪物」とは初めて認知する・されるものなのであるということをメタファーとして描いている印象を受けました。2つ目は、湊と依里が関係を深めていく森の中のバスのシーン。ここではお互いのことを好意を寄せる相手として描くことで、初めて性的マイノリティとしての2人の関係性が示されます。依里にとっては、そうした自分をいじめる他の男子生徒たちは明らかな「怪物」となるでしょうし、「豚の脳みそが入っている」と形容した自信の父親も「怪物」に当てはまるはずです。湊が母親と車に乗って帰宅するときにドアを開けて急に飛び出すシーンがありますが、ここはそうした同性愛の感情に対して大きな悩み・葛藤を抱いているタイミングで、自分の母親からは「湊には普通に大きくなって結婚して〜」とある種残酷な願いを伝えられもします。そうした意味で彼にとっては「母親」が「怪物」になてしまったという側面もあったのかも知れません。

本作は、「怪物」は対象によって変わり、自分も誰かの「怪物」であるかも知れない、ということを突きつけるような内容だったと思います。そして、改めてこの作品のキービジュアルとコピー「(怪物)だーれだ」を踏まえると、各キャラクターから自分の対象となる「怪物」へのベクトルが自然と浮かび上がってこないでしょうか

なお、最後のシーンでは湊と依里が燦々と輝く白日の元、野山を駆け出していくシーンが描かれます。第二幕の最後で、嵐の中、沙織と保利が横転したバスの中に2人を探そうとするシーンが映し出されますが、2人が助かったかは明確に描かれません。これを考えると、嵐のシーンから晴れのシーンの間には時差がかなりあると思われるので、おそらくここは2人は既に死んでしまっていて、2人の理想とした世界(死後の世界?)を描いたのではないかと私は思いました。もちろん、解釈の余地は残した形で作品としては終わっているので、色々な展開が考えられるとも思えます。

映画館で見るべき作品なのか?

個人的には、劇場鑑賞推奨度は「80%」というところでしょうか。(意外に高い)割と淡々と静かに展開していく作品ではありますが、1、2、3幕へと続く伏線が丁寧に散りばめられてはいますし、そうした意味で引き込む力はある作品だと思います。(個人的には第一幕の瑛太さん演じる教師の演技が第二幕と乖離し過ぎている点に、唯一腑に落ちない感じはありましたが…)何より、本作が最後の映画作品となる、坂本龍一さんの音楽は、主張をし過ぎることもなく、とはいえ絶妙な距離感で作品に寄り添っているのではないかと思いました。(aquaが最後に流れた時は「うわ〜」と感じました)総じて、じっくりと作品を味わうのは、今このタイミングでの劇場鑑賞がぴったりの作品なのではないかと思います。

ぜひ映画館でお楽しみください。

END

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